高次脳機能障害支援コラム<1>

 高次脳機能支援事業の一環として、帝京平成大学助教の中本 久之氏に高次脳機能障害についてのコラムを全3回で寄稿していただくことになりました。高次脳機能障害についての理解を深めながら、全ての人がより暮らしやすい社会を築いていけるきっかけの一つにして頂けたら嬉しいです。

何気ない日常から脳のことを知ろう

 

    泣き声、大声。早く帰宅できた日は賑やかなお迎えである。今回、高次脳機能障害について3回のコラムの依頼を頂き、どのような内容にしようか構想を練りながら玄関を開けた途端、ぼんやりとした構想を吹き飛ばす歓迎を受ける。大学教員から父親へと否応なしに役割転換される瞬間である。

 

 「高次脳機能障害」とインターネットで検索すると、著名な先生方のわかりやすい説明はたくさんある。最近では行政からも読みやすいパンフレットが発行されている。一般的な説明については是非、それらをご参照いただければと思う(1)。

 3回のコラムを通して、日常の何気ないひとコマから脳を理解し、多様な方と共生していくヒントを読者のみなさまと考えていきたい。

 

 第1回は、泣き声、大声の正体でもある、私の子どもたちに登場してもらう。小学校に入学した長男と5歳を迎える長女の喧嘩は玄関の外まで聞こえて来る。2歳の次男の泣き声も負けていない。

 ヒトの発生では第3週の初めに脳の原型となる神経板が出現する。ほぼ全ての器官は妊娠10~12週に形作られるが、脳は妊娠期間を通して発達を続ける(2)。

 

  生まれたばかりの赤ん坊は泣くことで、今の気持ち(空腹、不快、寂しさ、不安…)を訴え、親に助けを求め、欲求を満たす。このエネルギーの発信元は大脳辺縁系と呼ばれる脳の中心近くに存在する場所である。この大脳辺縁系は私たちの喜怒哀楽といった情動や記憶を司るとても重要な場所で、人間らしさ、その人らしさの源とも言える(詳しいことは後述するが前頭葉も大切)。

 さて、ポジティブな感情であれば周りもにこやかになる。ケラケラ笑う子どもを見ていると、つられて笑ってしまう。しかし2歳児が急に泣き出し、言葉にならない言葉で訴えてくると、どうしてよいものか途方に暮れる(怒ってしまうこともある)…。当の本人もどのように伝えて良いかわからず泣くしかなく、父はあたふた…。まったく解決の糸口が見えない。すると長男と長女が優しい声で「お腹空いたの? ママに会いたいの?」と声をかけると「うん」と泣き止み、時にはなんで泣いていたのか忘れたように兄姉と遊び始めてしまう。

 原因はなんであれ、小さい子どもたちは自分の感情を制御したり、食べることを我慢したりすることはとても苦手である。それは、成人であれば大脳の30%も占めると言われている「前頭葉」が十分に発達していないことも原因の1つである。

 

 ここで大脳の役割について簡単に説明する。大脳は大きく4つの領域に分かれていて、前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉と呼ばれている。先程の大脳辺縁系は側頭葉の内側に存在する。前頭葉は主に運動の指令や、言葉を話す、注意、記憶、感情のコントロールなどの機能を担っている。頭頂葉は、空間を立体的に捉え、モノとの距離感を掴んだりする上で重要な部位である。また、何かに触ったときにその感覚を捉える場所でもある。側頭葉には、新しいことを記憶するときに重要となる海馬が存在する。また言葉を理解するという機能も担っている。後頭葉は、目で見たものが何かを捉える機能を担っている。

 前頭葉には今挙げたように、いくつかの機能があるが、大脳辺縁系との関係で言えば、ブレーキの役割があり、感情を抑えたり、我慢をする時には前頭葉が働く。我が家には2歳、5歳、7歳の子どもたちがいるが、2歳の次男は目の前に食事が運ばれてくればすぐに食いつく、食いしん坊である。それを見てお兄ちゃんとお姉ちゃんは「みんなが揃ってからだよ」と声をかけてくれる。幼稚園や小学校で教えてもらったことをちゃんと家でも実践できていて実に頼もしい。目の前の食事を他の人が食べないことも知っているし、ほんの少し待てば親が食事の席に着くだろうということも察してくれている。

 

 このように見通しを立てるといった機能も前頭葉は担っている。前頭葉が適切に機能していれば見通しが立てられるので、安心することもできる。見通しが立っていると気持ちも落ち着くので、穏やかに過ごせるが、どうなるかわからない状況やいつもと違う状況では急に不安になったり、落ち着かない気分になる。通勤電車が人身事故で運休していると、焦っている人、中には駅員に怒っている人を見かけることはないだろうか。脳に傷がついていなくても状況によって私たちも気分や感情が不安定になることはある。

 脳が未発達の子どもと、脳を損傷された方を同様に見ることはもちろんないが、このストレスフルな社会で生きるためには十分に脳が機能していないと苦しい場面は多々あるだろう。子どもは見る限り無力なので大人が自然と手を差し伸べる。しかし、高次脳機能障害は「見えにくい障害」と言われるように、「怠けているんじゃないか?」など謂れの無い誤解を受けてしまうこともしばしばである。当事者にとって1年、2年という単位はとても長いと思うが、私が敬愛するリハビリテーション医は、「今日より1年後、今日より2年後・・少しずつですが変化します」と言葉をかけている。私自身も今回のコラムを通して、当事者の方が少しでも社会の中で今よりも生きやすくなるようなきっかけとなるよう、障害の正しい理解と、障害を持った方との共生について考えるきっかけを届けていきたい。

 本稿を推敲していると・・「ご飯だよ!」と長男の声が聞こえて食卓に向かう。次男はスプーンを握り締めながらじっと食事と睨めっこ。ちょっと我慢を覚えた2歳児も実に可愛い。

 

(1)東京都保健福祉局 東京都心身障害者福祉センター:高次脳機能障害機能障害の理解と支援の充実を目指して2020年版.(https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/shinsho/tosho/hakkou/pamphlet/kouji1.html)

(2)Richard E et al (著). 衞藤 義勝(監修):ネルソン小児科学 原著第17版.エルゼビア・ジャパン,2005.

 

 

中本 久之

東京都出身。2007年東京都立保健科学大学保健科学部作業療法学科卒業後、医療法人社団永生会永生病院に入職。2012年首都大学東京大学院人間健康科学研究科作業療法科学域博士前期課程修了。2013年 医療法人社団永生会永生クリニック退職後、2014年より帝京平成大学健康メディカル学部作業療法学科助教として教育に尽力中。